日本人は、海外で経験を積むために日本から離れた人と国内で生きていく人の2つのグループに分かれてると言われています。海外に行ってしまった人たちはほとんど戻らないと言われています。一度広い世界を経験すると、元の日本の形式には当てはまらなくなるからです。
20年以上海外生活し、日本の文化に再び馴染むと言うことは私にも衝撃的でした。世界でも有名な、日本の電車内の風景も、ほとんど全員が静かに眠っている様子には驚きました。高校生や小学生まで若い子達まで、電車内でぐっすりと眠っていたのが印象的。
自分も高校生だった時、家から電車で1時間の距離に住んでいて朝5時30分に家を出て、6時15分の電車に乗り、さらに1時間以上の電車の旅を経て、さらに30分歩いて学校に到着しました。放課後の活動を終えて家に帰るのは、いつも21時過ぎ。
睡眠不足はいつものことで心を静かに観察する時間なんて全くないですよね。
自分のことも覚えているけれど、帰国後、電車内で疲れ切った小学生を見て、まるで老人のようだなとしみじみ思っていました。
世界でも有名な日本の忙しい文化。「勤勉」と言われていますが、実際は、忙しく見えることを奨励する社会からの圧力です(またこのトピックは新しいブログでお話ししましょう、後ほど)。
でも、これは日本だけのことではありません。北米やフランスにもよくみられる世界的な現象。子どもたちは、親が常に動き回るために、祖父母や保育園、学校といった間を行き来しています。週末には、庭でのんびり退屈になれる時間さえ許されず、目覚めている間は常に行動、刺激を続ける、朝から晩まで眠くて倒れるまで振り回される状況。
退屈できる、ということは、想像力や静けさ、自然の中での不思議を刺激する人間としての天からの贈り物。
このように過剰刺激を受け、疲れた子どもたちは、大人達を接待するように楽しませなければならないと感じがちで、アニメや劇のように「かわいいね、面白いね」と言われることを目指している表現ばかりで本音、子供らしさもなくし、疲れるとイライラしたり、反抗的になったり、すでに人生に対して冷めた気持ちを持っている子達が多すぎ。
逆に、単に自分らしくいる時間を奨励された子どもたちは、自然の中で退屈したり、頭の中で自分だけの遊びを考えたり、再び退屈したり、昼寝をしたり、親と他の人が周りにいない中で会話を楓ます。これらの子どもたちは、いつ寝たいのか、いつ寝る必要があるのかをよく感じやすくなっていて、自分自身の疲れのサインを理解し、疲れたなと思うとぐっすり眠ります。
こういう子供たちを見ると礼儀正しく、フレンドリーで、落ち着きがあり、思慮深く、思いやりがあるのがよく見当たる。大人を楽しませることではなく、本当の意味での心で繋がる方法を知っている子供達になれる。
私たち社会、そしてこの世代の子供たちを取り巻く大人たちとして、子供たちにただ「存在すること、自然のありのままの子供らしさ」を強調できる時間がもっと必要じゃないのかな? 退屈感を増やすことで、創造的になり、自然の小さな輝きに興奮する時間を与えられる社会をもっとみたい。
そんな子供らしさには睡眠がとっても重要な役割を果たします。でも、大人達が子供たちを過剰に刺激したりして疲れさせると、彼らの睡眠パターンも極端に悪化し、疲れることで、感情についても混乱し、同情心や親切さ、真のつながりを持てない人間になり、娯楽を提供するデバイスや人々にのみ依存するようになってしまうことも確認されています。
刺激中毒になるのではなく、子供も大人も純粋で自然な存在であり続けるために導かれる必要かなと思いますが皆さんはどうですか?