私が初めてヨガ講師講座に参加した時、あの時の忘れられない気持ち。私の人生を変えてくれたトレーニング。
その後、いくつかのワークショップを受けた後、先生方を追いかけてアメリカへ行き、週ごとに異なる州でワークショップとトレーニングを受けました。2回目の上級トレーニングを終えた時には、1500時間以上のトレーニングをすばやく積み重ね、大学学費と同じサイズの借金も。
それでも後悔はしていない私。それが私を今の場所に導き、そのおかげでユニークな経験をしました。ヨガ教師トレーニングの講師になるために、激しく訓練されメンタリングを受け、依然として最高だと信じる人々と教育スタッフの一員となり、上級トレーニングを卒業してからわずか3年で自分のトレーニングスクールを開くことができました。
その時も高額な借金は、謙虚な学生であるということを盾にできたので自分の中でも正当化されてて、学生であるためには、ワークショップ、トレーニングを受け続ける必要があると自分を納得させていました。しかし今振り返ると、私の練絃に欠けていたのは満足感、または知足でした。サンスクリット語でそれはサントーシャと呼ばれます。
私たちは、常により良いものを求めて、成し遂げようとする世界に生きています。iPhoneを例に取ると新しい電話が登場すると、古いモデルがまだ機能しているにも関わらず売れていく。
常に新しい刺激、新しい物、新しい資格を求め続けることは、私たちをただ燃え尽きさせるだけでなく、社会の新しい刺激の奴隷になり、不満の続くサイクルになる原因となります。
いくつかの研修を終えたある日、先生に次のトレーニングは何が良いかなと尋ねました。すると、「わからないなぁ。瞑想してみたら?」と。私は、「どのくらい?」と尋ねました。すると先生は「わからないが、今何かする必要はないんじゃない。ただ毎日コツコツとヨガを教え続けなさい。」と言われました。
ヨガの教え始めてから16年たった今やっと、先生から言われた意味を理解し始めてきたところ。ポーズやマントラがこうで、ああで、ではなく、同じ練習を何度も繰り返しする喜びを見つける、私たちの内なる小さな変化を観察する。心の中を観察し、観察する過程を楽しむこと、それが満足感、知足です。常時自分を改善する、頑張るではなく、ありのままを楽しむ。
エンターテイメント、人生への興奮感、改善したい気持ちが悪いわけではなくて、人生の小さなことに喜びを見出す。それが満足感です。満足感、知足は生きるリズムをスローダウンしてくれる。あんまり刺激を求めた生き方をしているばかりだと結局は空回りで疲れてしまう。
子供の頃は自分自身を楽しませるために創造力を使うことができるように、退屈する、と言うことを学びます(これについての記事を書きました、ここで読むことができます)。大人になるにつれて、人生は再びカオスとドラマに満ちた日常になりますが、もし満足感、知足を学ばなければ、他の物事で虚しさを埋めます。新しい恋愛関係にすぐ飛び込んだり、日常生活の空虚感を埋めるために旅行したり、また新しい携帯電話を買ったり、Netflixをつけたまま眠たり。飽きると、また繰り返す。そんな人生は、ますます気持ちの上下の激しい道になっていく。
満足感を学ぶためには、一旦立ち止まり、一つのことに焦点を当て、ゆっくりと動いて観察し続けるまで、毎日のルーティンで小さな輝くスパークを見つける必要があります。マルチタスキングは過大評価されているからやりすぎないように。これがマインドフルネスと言われている。活動がマインドフルになると、他の何もで満たす必要はありません。満足して、中から満ち、心地よく満たされるのがサントーシャ。